風の模様
よく勘違いされるのだけれど、M.T.E.C開業以来ファド原理主義者を名乗る私がファドを日本語で歌うこと自体を公に否定したことはない(同じく、「邪道」や「正しいファド」といった表現も避けている)。あるとすれば、印象とは裏腹に音数や構成等のルールがかなりしっかりとしているというファドの根本を理解せずにルールから外れた「形」の日本語の訳詞をつけて歌うということに対して、疑問を呈していたというぐらいのものだ。
この、ルールから外れるというのはジャンルとしての音楽的特徴があまりにも少ないファドにとって致命的なことであり、字余りなんかがあった日には二拍子のギターとポルトガルギターで何のジャンルを歌っているのかまるでわからなくなる。
そのような状況がありこれではいけないと、ルールを理解した上で日本語の詩を書ける人材をずっと片眼片耳で探していたところ、鋭い言葉のセンスとオリジナリティのある世界観を持った田中真二くんに白羽の矢が立ち、彼の手によって『風の模様』という詩が生まれた。
彼に出した注文は3つ。
1.メロディーについては考えない。後で適応した古典ファドのメロディーをあてがう。
2.ファドで歌われるポルトガルの古典詩の形式を踏襲し、その中でもシンプルな7音節4行のquadras、7音節5行のquintilhas、7音節6行のsextilhasで作ってもらう。
3.古典詩における「7音節」の解釈に準じる。1行7文字か8文字で作ってもらうが、8文字になった場合は8文字目の音が強くなるようには単語を配置しない。
更に、試行錯誤の上でもうひとつ。
4.日本語で行末の音韻を作ると不自然になりがちなので、音韻は語頭で踏んでもらう。
古典ファドの形式に関しては拙著「ファドの世界へようこそ」(android、iOS向けアプリ)を参照されたい。
そして慣習どおり、最後のフレーズのはじめは工夫をする。
以上の条件をクリアする詩がいくつも届き、それらを様々な古典ファドの曲で歌ってみたところ『風の模様』と『Fado Franklin
sextilhas』の相性が良いように感じられ、今回の収録に至った。
勘違いしないでいただきたいのは、このトライアルは日本語で歌うファドを広めようというものではなく、日本語で歌われることでファドのルールの理解を平易にしたいという目的の試みである。
真二くん自身によるジャンガランのライブでもこの歌は好評なようで、突然空気が澄みとおるといった感想も上がるとのことだ。
私としてもこのトライアルによってわかったことはたくさんある。なにより一番よくわかったのは、この詩は真二くんじゃなきゃしっくり歌えないということだ。やっぱり彼のセンスは他者に預けられないオリジナリティにあふれている。
今後も彼に詩を作ってもらい、彼に歌ってもらおうと思う。
2013年12月
月本一史
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